プリキュアの数字ブログ

プリキュアの数字に関するブログです。数字以外の事も半分くらい。数字に公平であるため広告、アフィリエイトは導入していません。価格.comのプリキュアおもちゃ特集ページ書きました。

「プリキュアはポリコレの道具ではなく、子供達のもの」は言わなかった。リアルサウンド映画部様へ寄稿しました。

リアルサウンド映画部様に寄稿記事を書きました。

realsound.jp「初の男の子プリキュア、キュアアンフィニ」についての記事です。

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HUGっと!プリキュア第42話より


(「リアルサウンド映画部」からこの寄稿依頼が来た時に、思わず「映画関係ないけど良いのですか?」と聞いたのですけど、良かった様です)


初の男の子プリキュア「キュアアンフィニ」についてと、それに伴う今までのプリキュアのジェンダー観について思う事を書きました。

キュアアンフィニが①「初の」②「男の子」③「プリキュア」かどうかはファンの相手でも見解の分かれる所でもありますし「男の子プリキュアという話題性」のみが先行しすぎている気がしていたので、ちょっと書かせて頂きました。

(と、思っていた矢先、「ほまれちゃんの失恋」というプリキュアファンには大きな出来事が起こってしまったため、もう話題性が薄くなっている気もしますが・・しかしそっちもそっちでここまで真正面から「失恋」を描く事も素敵な事だと思います。すごいなHUGっと!プリキュア。)

言いたかった事は上記の寄稿記事で書いたのですけど、
今回の寄稿記事の中、書いている途中で結局削除した文章があります。

それは「ちょっと今回の趣旨に合わないなー」と思って削除したのですけど、
せっかく書いていたのでちょっとここで供養しておこうかと思います。



(最後に書こうと思っていた事)
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プリキュアが「新しいジェンダー観」を始めとした社会的規範やポリティカルコレクトネスを描いていく事に批判的な声もある様ですが、当然描くべきだと僕は思っています。これらのジェンダー観やポリコレ表現は当然「この先の未来を生きる子供達へのメッセージ」として大人が示す道しるべになっているのです。
プリキュアという子どもが観るアニメーションが「子供達の無限の可能性」のために、沢山の選択肢を提示しておく事は必要です。制作者がそこに真摯に向かい合っている事は素敵な事なんだと思います。

そしてプリキュアというアニメーションはポリティカルコレクトネスの道具ではなく、あくまで「女の子が楽しむために存在しているアニメーション」なのです。
その「楽しさ」の中に多様性の表現が必要であると製作者が判断しているのです。
(プリキュアは「常に子供達の事だけを考えて作られている」というのは各種媒体の製作者インタビューで常々語られています)

ですので決してプリキュアをポリコレの道具として「大人の政治の道具」に使うべきではないのだとも、思います。

「男の子プリキュア」が出てくること自体が「目的」ではないのです。
この先「子供達が幸せに生きていくのに必要な事」だからこそ描かれた「結果」に過ぎないのです。
子供達に必要な事は取り入れるし、子ども達が好まないものは取り入れない。
プリキュアはあくまで「子供向けアニメーション」なのです。
決して周りがはやし立てて安易なポリコレの道具にするべきではないのじゃないかと、自分は考える様にしました。
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みたいな事を最後に書こうかと思っていました。
 

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 HUgっと!プリキュア第42話より

 

「お前が言うな」と言われそうではありますが、言います。

女児向けアニメの革新性でいえば既にプリパラシリーズのレオナ・ウエストの方がもう何年も前に革新的な事を描いていますし、近作ではゾンビランドサガの表現も素敵でしたよね。ともに女の子の集団の中に男の娘が出てくるのですが、男の娘であることに周りがやいのやいの言うのではなく「男の子なんだ。ふーん。それでね・・」と、さもそこに「男の子」がいる事が普通の事である、との描写が好きです。自分は。

プリキュアはまだ「男の子がプリキュア」になったレベルで大騒ぎしている段階なのですよね。
そもそも「初のアンドロイドプリキュア」は社会的に大騒ぎされなかったのに「初の男の子プリキュア」は社会的に大騒ぎされたのは何故なのだという想いも無くもないのですが、
とにかく、この先「どんな属性のキャラクター」がプリキュアになろうと、「自分の主張を通したいためだけに、プリキュアを政治の道具にしてはいけないな」と僕は考える様にしました。

だって「プリキュアは子ども達が幸せになるためのアニメーション」なのですから。

勘違いしないで欲しいのは「プリキュアとポリコレ」を語ることは全然良くて、それはむしろ「プリキュアの良さ」を知るためにも必要だと思うのですけど、
「子どもたちの為に作られている」という視点を省略して語る事は「自分はしないでおこう」、というお話です。

数字の事を書かずに、こういう事書くと、色んなところから悪口いわれて心が滅入ってくるのですが、せっかくなので書いておきました。

(おわり)