プリキュアの数字ブログ

プリキュアの数字に関するブログです。数字以外の事も半分くらい。数字に公平であるため広告、アフィリエイトは導入していません。価格.comのプリキュアおもちゃ特集ページ書きました。

プリキュアの「女の子だって暴れたい!」が独り歩きしていないか問題

2023年2月1日。
ついにプリキュアシリーズが20周年を迎えます。

さて、そんなプリキュアを象徴する言葉に「女の子だって暴れたい!」があります。
とても良い言葉です。
たった一言でプリキュアとは何か?を体現する名コピーだと思います。

※ちなみに「ふたりはプリキュア」のWikipediaには「女の子だって暴れたい」が「キャッチコピー」と書いてありますが、これは正確ではないです。
「女の子だって暴れたい!」は、ふたりはプリキュアのいわゆる「キャッチコピー」ではありません

ふたりはプリキュア - Wikipedia

(※2023.2.1追記;
2023.2.1より開催の「全プリキュア展」の辻愛沙子氏プロデュースのブースにて「20年前、ふたりはプリキュアはこのキャッチコピーから始まった」との記述がありました。当然東映アニメーション監修の元で行われてるため「女の子だって暴れたい」はふたりはプリキュアのキャッチコピーとなっていた様です。)


さて最近、この「女の子だって暴れたい」が「女の子の社会抑圧からの開放」としてフェミニズム的、多様性の象徴的な言葉として使われる事をよく目にする様になってきました。

『「女の子だって暴れたい」をコンセプトとして始まったプリキュアは~』

みたいな解説文もたまに見かける様になってきました。

今や、プリキュアの解説には「女の子だって暴れたい」がセットで語られる様になってきている様に感じます。(あまりにもキャッチーな言葉で使いやすいのですよね。自分もよく使っちゃいます)

しかしちょっと待って欲しいのです。

プリキュアは「女の子だって暴れたい!」をコンセプトに始まった、というのはやや誤解があるのです。

Febri特別号 プリキュア15周年アニバーサリーブック (一迅社ブックス)

(画像:amazonより)



実はこの「女の子だって暴れたい」という言葉は、プリキュアの企画書の2番目に書かれていた言葉なのです。
(当時の企画書は「ふたりはプリキュア 企画書」などで画像検索すれば現物も出てきますが、関係者以外入手できないものっぽいので、ここでは画像は控えます)

このWEB記事内に当時の企画書の写真が記載されています。

人生は自分の力で切り開く!プリキュアが描き続ける、憧れの「女性像」|CHANTO WEB

こちらならば引用可だと思われるので画像引用します。

(ふたりはプリキュア 企画書)

画像引用:https://chanto.jp.net/articles/-/230736

 

画像引用:https://chanto.jp.net/articles/-/230736
(上記画像の一部を著者が拡大)

この「プリキュアの企画書」では

≪最強女児アニメ『ふたりはプリキュア』5つのポイント!≫
として

1:永遠のテーマ・友情に真っ向勝負!
2:女の子だって暴れたい!「極上の映像エンタテイメント」はこれだ!
3」「三つのリアリティ」がファンタジーの魅力を最大限に引き出す!
4:黒衣の主人公さっそう登場!「影」が主役で「光」がサポート?!
5:合い言葉は「超かわいい」!こんなペットあなたも欲しいでしょ?

とあります。

そう。
「女の子だって暴れたい」は5つのポイントの2番目の言葉なのです。

企画書の1番目に提示された言葉は「永遠のテーマ・友情に真っ向勝負!」です。
プリキュアは、何よりもこの「友情」を描く物語として企画されていた事が伺えます。

更にいうなれば、2番目に書かれた「女の子だって暴れたい!」も、
続く言葉が『「極上の映像エンタテイメント」はこれだ!』となっている様に、
どちらかといえば、アクション映像、エンタテイメントとしての「女の子だって暴れたい」であることも伺えます。
要は「女の子だって暴れたい」=「女の子がバリバリ動くアクションアニメ」をやりますよ。
という意味合いの方が強かった様なのですよね。

プリキュア企画当初としては今ほどの「女の子だって暴れたい」に多様性的な思想は無かった様なのです。

これに関して「ふたりはプリキュア」のプロデューサー、鷲尾天氏は、2022年9月のMANTANWEBでのインタビューの中でプリキュアの多様性について「当時としては、そこまで意識していたわけではない」とも語っています。

「『女の子だって暴れたい』と企画書にチラッと入れていたんです。最近、多様性と言われ、取り上げていただくことも多くなってきましたが、当時は、そこまで意識したわけではないんです。ただ、嫌な画(え)は作らないようにしようとしました。

プリキュア:長期継続の秘密は「継続しようとしない」 “生みの親”鷲尾Pが明かす - MANTANWEB(まんたんウェブ)


また、鷲尾氏は、別のインタビューでも「アクションをやるために周りを納得させるための文言」として「女の子だって暴れたい」を書いた、とも語っています。

 

……「女の子だって暴れたい」と企画書に書かれていたというのは本当ですか?


鷲尾:これは本当です(笑)。コンビものやバディーものをやってみたいと思っていて、西尾さんにお願いすると決めた時点で絶対アクションで行きたいと考えていました。それを周囲に納得させるための文言なんです。女の子だからお行儀よくしなさい、おしとやかしにしなさい、スカートはきなさいとあんまり押さえつけちゃうのは、よくないなという気持ちもありました。

鷲尾 天 (プロデューサー)/Rooftop2014年2月号 - インタビュー | Rooftop

 

東映アニメーションの「ふたりはプリキュア」のHP内の鷲尾天Pのコメントでも「ふたりはプリキュア」は「アクションの王道」「巻き込まれ型アクションストーリー」との記載があります。

ふたりはプリキュアHP:https://www.toei-anim.co.jp/tv/f_precure/story.html

 

※ただ、この言葉はあまりにもキャッチーなのか、東映アニメーションのプレスリリースでは使われていたりもします。

 2003年11月26日発行東映アニメーションプレスリリース「女の子だって暴れたい!『ふたりはプリキュア』 2004年2月1日より放送開始」(現在リンク切れ)



「女の子だって暴れたい!」はあくまで「女の子主体のアクションアニメをやりますよ」という意味合いだったのです。少なくとも開始当初は。
それがあまりにもキャッチーでトンビシャな表現だったためか、年月が経つにつれ拡大解釈されて、今に至るのです。


もちろん「女の子だって暴れたい」が「アクションをやるための文言」だったとしても、「女の子のため」という考えが無かったわけではありません。

上記のインタビューでも「女の子だからお行儀よくしなさい、おしとやかしにしなさい、スカートはきなさいとあんまり押さえつけちゃうのは、よくないなという気持ちもありました。」とあります。

その他、当時の制作者インタビューを紐解いてみても「ふたりはプリキュア」立ち上げ時には「男の子だから~」「女の子だから」といった言葉は使わないなど、かなりジェンダー観に配慮して製作されている事も伺えます。

鷲尾 自由であるべきだという話は当時からずいぶんしていました。子どもに「女の子はこうであるべきだ」と刷り込みたくなかったので、台詞も気を付けました。「女の子らしくしなさい」「男の子だから泣いちゃダメ」というようなセリフはプリキュアシリーズには一切入れていません。

プリキュア生みの親が語るヒットの背景、時代と共に女児の自立を応援し15年 | ORICON NEWS


プリキュアシリーズは「子ども」「女の子」の事を第一に考え制作されているシリーズである事は間違いありません。

当然「女の子だって暴れたい!」には「女の子の社会抑圧からの開放」的な意味合いも包括していると思いますし、その思いを否定するわけではありません。

ただ最近は、プリキュアの「女の子だって暴れたい!」が独り歩きしすぎている様な感じも受けるのですよね。


『プリキュアは、「女の子だって暴れたい」をコンセプトに、女の子の社会的抑圧からの解放を表現するために企画されたアニメなんだという誤解?が年々強くなっている気もしています。

少なくとも、プリキュアは「女の子だって暴れたい」だけをコンセプトに企画されたアニメではありません。

「女の子だって暴れたい」から企画されスタートしたのではなく(それはあくまでアクションアニメとしてのイチ要素)、

プリキュアはあくまで「女の子の友情を描くアクションアニメ」としてスタートしています。

それが次第に社会的な信頼を得て様々な視点で語られる様になっていったのです。

、って事は頭のどこかに置いておいた方が良いのかな、とも思います。


「女の子だって暴れたい」が独り歩きしているのでは?っていうお話でした。


(おわり)

 

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(画像:amazonより)