プリキュアの数字ブログ

プリキュアの数字に関するブログです。数字以外の事も半分くらい。数字に公平であるため広告、アフィリエイトは導入していません。価格.comのプリキュアおもちゃ特集ページ書きました。

ハッピーエンドの信頼。HUGっと!プリキュア最終回について

HUGっと!プリキュアの最終回から1か月が経とうとしています。

「黙っておこう」と心に堅く誓っていたのですが、毎日の様に考えちゃうし、ねとらぼで書いた記事で少し触れたら結構反響があって、辛辣なものから共感までDMやメールをいくつか頂いたしで、
やっぱり、一度書いておいた方が自分の心の整理になるのではないかと思い、
自分のためだけにコレを書いています。
すいません。心弱いのです。

(HUGっと!プリキュアの最終回にけっこう否定的な事書いていますので、そういうのダメなかたはこの先は読まない様にしてください!!)

* * * * *


HUGっと!プリキュアは商業的に大成功しました。
世帯視聴率、KIDS視聴率、関連商品売り上げ、映画興行収入、あらゆる数字が上向き、それはすなわち、たくさんの子供たちがアニメ本編に、玩具に、映画やグッズで笑顔になったという事に他なりません。

もう、その時点で全てOKなのです。
それは間違いありません。口をはさむ余地はないのです。数字だけじゃなく内容的にも、未来へ進む子供たちに向けて「未来は可能性にあふれている」「輝く未来を抱きしめて」を真正面から伝えていました。
HUGっと!プリキュアという作品がまごう事なき「子供向けアニメーション」の大成功例だった事は間違いないと思うのです。
それならそれで何も書くべきではない、って思っていました。

自分も最終回までまでは、この作品ははっきり言って賛否あるかもだけど、自分は「賛」の側だなってずっと思っていましたし、今も「賛」の側である事には変わりありません。
しかし、やっぱり一度吐き出しておかないと、自分自身が停滞してしまう気がしています。
だから、この先書く事は、只の一人のオタクの妄言に過ぎません。
しかも推敲の1つもしていないので、とっちらかった文章だと思われます。


HUGっと!プリキュア 最終回の話です。
僕は少しだけ、あのエンディングにモヤモヤしています。
主にルールー・アムール周りです。

そのモヤモヤを例えるならば、シュタインズ・ゲートというゲームやアニメがわかる人に向けて例えると「牧瀬紅莉栖を犠牲にして、椎名まゆりが生存したエンド」こそが「真のエンディングですよ」って見せられた感じなのです。2人とも生存するトゥルーエンドじゃない気がしているのです。(わかんないですよね)

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先日、「物語のトンネル」の記事を見ました。

物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いのかもしれない - ジゴワットレポート

出口が用意されているトンネルがあっても中が暗いと通りたくない、って人がいる、というお話で、

それは「トンネルの抜けた先が、綺麗に完結したお話じゃないとトンネルを通る気にならない人」や、
「ハッピーエンドになる事が判っている物語でないと、暗いトンネルを通る事が出来ない」って人が一定数いる、というお話でした。

それを読んで僕は気づいたのです。
僕だけかもしれないですけど、少なくとも僕はプリキュアに「ハッピーエンド」を無意識的に期待していたのだと。

「プリキュアの最後がどうなるか?」っていうのは
「バッドエンド」になるのか、
「ハッピーエンド」どちらになるのか?
を想定しているわけでは無く、
ハッピーエンドになるのは当然として、どんな「ハッピーエンド」を見せてくれるのか?を期待していたのです。

「トンネルを抜けると、幸せな未来が待っている」
それが約束されているのが、プリキュアシリーズだと思っていました。

「ハッピーエンドへの信頼」ってやつです。

プリキュアシリーズは、中盤にどんな展開を迎えても、最終的には全てのキャラクターが幸せになる。

そんな風に思っていました。

それは「子ども向けアニメーション」であれば当たり前過ぎて、意識すらしていなかった概念だったのかもしれません。

例えば、魔法つかいプリキュア!。
終盤、ラスボスであるデウスマストを倒せば「魔法界」と「ナシマホウ界」は分断されて、みらいとリコとはーちゃんは離ればなれになって2度と会えなくなってしまう、というテーゼが示されました。

だけど「ハッピーエンドの信頼」があったからこそ、
「そうはいっても最終的には「なんらかの手法で」丸くおさまるんだろうな」っていう漠然とした「信頼」がありました。
「みらいとリコとはーちゃん」が離ればなれになっちゃうかも?
ではなく、
「みらいとリコとはーちゃん」を幸せにするために、制作者はどんな手を尽くしてくるのだろう??
って思っていました。

そして実際、魔法つかいプリキュア!第49話で、僕の「ハッピーエンドの信頼」を遥かに超える展開で、彼女たちは幸せな結末を迎えました。

あれが、例えば、例えばですよ。
「2つの世界は分断されました。みらいとリコとはーちゃんは別世界で生きる事になり、2度と会う事はありませんでした。でも、あの時、プリキュアになった想い出を大切に強く生きているのです。リコは魔法学校の先生になり、ちょっとドジな所もあるけれどみんなに親しまれる良い先生になりました。みらいは幸せな結婚をしてアクセサリーショップを経営しています。はーちゃんはその2人を遠くから見守っているのでした」
ってラストだったとしましょう。
(何度も言いますが「仮に」ですよ。そして「仮に」とか言い出す事が、一番ダメな事である事もわかったうえで書いています)

そのラストも、間違いではないし、ある意味「前向きなエンディング」であるし「現実と向き合い前向きに生きていくため」には、そんなラストでも良かったのかもしれません。
でも、それは「誰かが、どこかで、何かを、妥協した末」の「前向きな結末」なのです。「ハッピーエンド」じゃないのです。

実際の魔法つかいプリキュア!のラストはご存知の通り、2人の「会いたいという想い」は空間をも超越して、3人は再会し、幸せな未来が提示されました。

「どんな辛い展開があっても、最終話ではなんだかんだ、丸っとみんな幸せになって良かったね。」で終わったのです。

そして、少なくとも自分の中では、どのプリキュアシリーズにおいても、その「ハッピーエンドの信頼」は一度たりとて裏切られる事はありませんでした。
プリキュアたちは、みんなまるっと幸せになって終わりを迎えていました。
だから。
僕はHUGっと!プリキュアにおいても「ハッピーエンドの信頼」をもって最終回を見ていました。
彼女たちに、どんなハッピーエンドが待っているのだろう、と。

HUGっと!プリキュアが終わった、あの日。2019年1月27日午前9時。
放送終了後に「最終的にみんな幸せになって良かったね」ってつぶやきたかったのです。
でも、それは出来ませんでした。

あのラストは「みんなが幸せになっていた・・・?」って思っちゃったのです。
その要因はただ1つ。
ルールー・アムールと、愛崎えみるの物語です。

****

未来に帰らないといけない、ルールー・アムールたち。
ルールーやはぐたんと別れなければならない、野乃はな達。

「離れ離れになる2組」というテーゼが終盤、ずっと示されていました。

「ハッピーエンド」に向けて、そこにどんな僕たちの想像を超えるドラマを持ってくるのだろう?
「ルールー・アムールと愛崎えみる」この2人を幸せにするのは、相当なウルトラCが必要だと思うけど、きっと今年のスタッフならばやってくれるだろう。

それは、僕が「ハッピーエンドの信頼」をもっていたからでした。

Aパートで未来組が未来へ帰る描写。それはそれは感動的でした。

そしてBパート。
提示されたのは「未来へ帰っていったルールー」とは、別の個体の子供ルールーと出会う愛崎えみるであり、未来へ帰っていったはぐたんとは別の個体の「はぐみ」を生む野乃はな、という未来でした。
もちろん、それは感動的な出会いだったのかもしれません。

子供ルールーと大人えみるが歌う「キミとともだち」は感情のこもった歌声で、それはそれは感動しましたし、野乃はなの出産を応援するのはかつて応援してきた友達たち、というのも良かったと思います。

野乃はなたち3人のプリキュアは、それぞれ金メダルと取ったり、夢を叶えてお医者様になったり、幸せな結婚をして赤ちゃんを生んだりで、それはそれは提示された未来はステキだったと思います。(確定した未来を描く事の是非はおいておいて、です)

「未来はつらい事もあるかもしれないけれど、前向きに生きよう」
「つらい事があった時、心の中にある「友達からのフレフレ!」があれば前に進める。だから、大切な人に「フレフレ!」をし続けよう」

それが提示された、素敵なラストだったと思います。

でもね。
1点。
ルールー・アムールと、愛崎えみるの物語です。
あの「子供ルールー」は、少なくとも愛のプリキュア、キュアアムールじゃないのです。

愛のプリキュア、キュアアムールとして、野乃はなと出会い感情を取得し、野乃すみれに抱きしめられ、愛崎えみると一緒に歌を歌ったルールーアムールは、Aパートで未来へ帰って行ったきり、Bパートでは全く触れられていないのです。

これは推測なのですけど、未来へ帰っていったルールー・アムールは荒廃した元の世界で、愛崎えみると過ごした日々を胸に「歌を世界中に届けている」のでしょう。もしかすると、未来の世界で歌を失った愛崎えみるを探し出し一緒に歌っているのかもしれません。
それは確かに「ルールーが選択した未来」だったのかもしれません。

でもそれは「誰かが、どこかで、何かを、妥協したハッピーエンド」じゃないですか。
シュタインズゲートでいう所の「牧瀬紅莉栖を犠牲にして、椎名まゆりが生存したエンド」じゃあないですか。2人とも助かるトゥルーエンドじゃないのですよ。 

僕は、きっと1年間ずっと戦ってきた「あの姿の彼女たち5人」まるっと全員に幸せになってもらいたかったんだと思う。
1年間、悪の組織とずっと戦ってきたのですもの。
1年間、子どもを、大人を、ずっと応援してくれたのですもの。
少しくらい不思議な事が起きて、誰も何も妥協する事なく、全員まるっと幸せになっても良いじゃないですか。

15周年で映画でも共演した「ふたりはプリキュアMaxHeart」だって「クイーンが復活すると九条ひかりは消えてしまう」というテーゼに対しても
「こうなっちゃいました」で全員、丸っと笑顔で終わったじゃないですか。

だから、僕はルールー・アムールは最後まで「愛のプリキュア、キュアアムール」の姿で笑顔を見せて欲しかった。

「辛い事もあるかもしれないけど、未来は希望に満ちているから前に進もう」
は確かにその通りです。

でもね。子供に夢を届けるアニメーションなんだから。
現実じゃあないのだから。

「辛い事もあるかもだけれど、未来を前向きに生きよう」は「子供の今が幸せである」からこそ言える言葉であって、今、実際に辛い立場にいる子供たちには言っちゃあいけない言葉なんだと思います。

未来に希望をもってもらうためにも「今のあなたの存在そのものが大切なんだよ」を提示してあげたいじゃあないですか。

そしてその子供たちの存在こそ、プリキュアそのものなのですよ。
だから、プリキュア達が大切な存在である事を、肯定してあげてほしい。
そのためにも、プリキュアは全員、最終回で幸せになってほしい。
「みんなが1年間好きでいてくれたプリキュアは、こんなにも幸せになっていますよ。みんなが大好きでいてくれたから、幸せになったのですよ。」を提示してほしい。

だからこそ。
ルールーアムールは中学生の、あの姿、あの記憶を持ったままでで、愛崎えみると2人で笑って歌って終わりを迎えて欲しかったのです。

中盤「プリハートが1つしかない、でも2人で変身したい」が提示された時、「お互いを思いやる心」が奇跡となりプリハートが2つになったじゃないですか。そんな力技が使えるのに、ラストのラストで「現実に沿った」終わり方しなくてもよいじゃないですか。そんな「想いの奇跡」がまた起きても良かったじゃあないですか。「何度でも起こすよ、きらめく奇跡」は伊達じゃないのです。

現実が厳しい事なんてのはさ、僕たち親が子供たちにきちんと伝えるからさ、せめて物語の中では、全員、まるっと、妥協することなく幸せになってほしいのです。

僕の中でハッピーエンドの信頼は、少しだけ揺らぎました。

それは只のやっかいなオタクの戯言です。
わかっていますよ。
そうやって自分の気に入らない事を「子供をダシに」するのは一番よくないのですよね。ただ、自分が「好きではない終わり方」だっただけの事に、屁理屈を付けて。
うん。
そういうのは一番よくない。只のエゴに過ぎないことは十分にわかっています。

勝手に思って、勝手に解釈して、勝手に嘆いて、勝手に書いているだけです。
しかもチラシの裏に書いてしまっておけばよい事を、わざわざ書いて公表しているのですものね。良くないです。
だけどね。
15年に1回くらいはそんな事があったってじゃないですか。

もちろん提示された終わり方で良かった、という意見も多いでしょうし、そちらが多数派かもしれませんし、それを否定するものでもありません。自分が変なだけです。

僕は今でも「HUGっと!プリキュア」が大好きな作品で作品である事には変わりありません。
だから、せめて。せめて。
未来へと帰っていったルールー・アムールが愛崎えみると再び出会って、一緒に笑顔で歌を歌っていると良いな、って妄想しています。

(おわり)